「機会損失」は「運気の損失」
こんにちは。鏡月です。
“Time is Money.”という諺があるように、「開運するための物事の考え方」として非常に重要なのは、
チャンスを生み出すための時間を潰さないこと
それっぽい言葉で言えば、「機会損失をいかに最小限に留めるか」が、その人が幸運のチャンスを掴める人なのかそうでない人なのかの分かれ目だということでもあります。
よく、「機会損失」と言うと、「お金」の面でクローズアップされることが多いですが、それは何も「お金」だけに限らず、「仕事」でも「恋愛」でも、「人間関係」においても、この世の総てのことについて言えることです。
例えば、私事で恐縮なのですが、先日、こんなことがありました。
先月、仕事で使っているメインのパソコンが壊れたので、修理に出すのではなく、思い切って新しいものに取り換えたのですが、作業スピードが格段にアップし、以前のものと比べると「2〜3倍になった」と言っても過言ではないくらい、サクサク作業を進めることが出来るので、非常に助かっております。
新しいパソコンに取り換えたことにより作業効率が格段にアップした=より多くの仕事がこなせるようになった
ということであり、裏を返せば、
古いパソコンを使い続けていたら作業効率が悪いままだった
ということでもあります。
つまり、古いパソコンを修理に出してあのまま使い続けていたら、「より多くの仕事をこなす機会を失っていた」ということになります。
より多くの仕事をこなすこと=仕事面でのチャンスを引き寄せること
に繋がりますから、俗に言うところの「仕事運アップ」の状態を「パソコンを新調すること」によって「自ら」作り出したということになります。
もし、「修理に出す」ということを選択していたら、「新しいパソコンを買う」よりはお金がかからなかったのは事実です。
「お金」という観点から考えれば、「新しいパソコンを買う」というのは好ましいことではありません。
しかし、「修理に出した」としても、パソコンそのものの性能がそれ以上上がることはないわけで、作業効率が悪い、つまり、より多くの仕事をこなせない状況でそのままやっていたとしたら、
古いパソコンで作業すること以上に出来たであろう多くの仕事をすることにより、得られるお金を失っている状況だった
ということであり、「目先のお金」ということで考えれば、「パソコンを修理に出す」方が得かも知れませんが、もう少し長いスパンで考えたとき、結果的に得られるであろう「お金」と「仕事のチャンス」は、
新しいパソコンを買う>古いパソコンを修理して使い続ける
ということになります。
ここで話を元に戻すと、
人生は「選択」の連続である以上、より多くの「賢い選択」をし続けられるかで、人生に「差」が出てしまう
わけですが、「もったいない」精神は、それはそれで大事なことだと思いますし、いい意味での「もったいない」なら良いのですが、
悪い意味で「もったいない」、つまり、「執着」や「捕らわれ」が多い人ほど、「人生の機会損失が大きい人」
言い換えられます。
もっと端的に言わせていただくならば、
人生の機会損失が大きい=自分で自分を不幸にする選択肢を取ることが多い人=不幸体質
ということです。
そして、不幸体質の人であればあるほど人のせいにすることが多いわけですが、厳しい言い方になりますが、
「誰かや何かのせい」以上に、「自分で自分を不幸にする選択肢を取っている回数」がそれ以上に多いので、結果的に不幸な状況から抜け出せないだけ
であり、
自分で自分を不幸にする選択肢を取る回数を減らさない限り、状況は改善しない
ということでもあります。
「自分で自分を不幸にする選択肢」、つまり、「自分で自分の首を絞める選択肢」を取ってしまいがちな原因として、
- 自分で自分の感情をコントロールすることが出来ない
- 人の顔色を必要以上に伺ってしまい、「NO」とハッキリ断れない
- 「こんなもんだ」と諦めている
- 「自分にも原因がある」とは1mmも思っていない
- 「でも」「どうせ」「だって」と言い訳が多い(本音は面倒臭いから行動したくないだけ)
- 「一般常識ではこうだから」と、必要以上に常識に捕らわれている
- 自分が努力して上に上がるよりも、人を利用したり、蹴落とした方が楽だから
といった原因が背景にあることが多いのですが、そういう心理的背景が、
- 何かストレスがかかることがあると、つい「買い」「飲み食い」「喋り」に走る
- 周囲にも反対され、ダメな男と分かっていつつも別れられない
- 子供のこともあるので、面倒臭いママ友でも付き合わなければならない
- 「権利」ばかり主張して、「義務」が疎かになってしまう
- 「自分は偉い」「奥さんに気を遣ってもらって当たり前」だと思っているから、人や家族がどんどん離れていく
- 自分に何をしてくれるわけでもない「世間の常識」を優先するあまり、「自分の本来の幸せ」を優先していないが故の不満が溜まり、普段の生活や精神面での「歪み」が発生してしまう
といったことに発展してしまい、結果的に「自分で自分の首を絞める」状態になってしまっている。
自分の首が締まって苦しいから、藁をも縋る思いで周囲に助けを求めても(周囲としては「その手を放したら?」と言うしかないわけだけれども)、「自分が思っていたのとは違う」答えが返ってくる。
そこに不満を感じて、「自分が納得する答え」を探そうと彷徨い、そこで答えが得られたらラッキーだけれども、大抵の場合は「正解探し」に疲れてしまう。
そして、「臭いものに蓋をした状態」のまま時間だけが過ぎて行く…というパターンに陥っている人が多いように感じています。
幸せになりたいなら、そもそも「自分で自分の首を絞める選択肢」、つまり、「不幸になる選択肢」は取らなければいいだけの話
なのに、
いろいろ理由をつけて、そこから抜け出そうとしない(自分で自分の手を解こうとしない)から、いつまで経ってもなかなか抜け出せない
のではないかと思います。
まず、「自分で自分を不幸にする選択肢」は極力取らないようにし(どんな人でも100%それを無くすることは出来ないと思います)、
「自分で自分を不幸にする選択肢」を減らすことにより、「チャンスを掴むための時間」を作ることが出来るので、その「時間」を自分で自分の幸せを作り出すための時間に充てればよい
それだけの話なのです。
今後の人生において、「人生の機会損失」を最小限に減らすことが、あなたの人生を良い方向に変えることに繋がる
ので、変な「執着」や「こだわり」は捨て、もっと「自分で自分を幸せにすること」に貪欲になって欲しいなと思っています。
それではまた次回☆
- 2016.10.04 Tuesday
- 08:00
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- by 鏡月 凰仙