とある占い師の独り言

「孤独」と言う名の不幸に人生を弄ばれないために

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こんにちは。鏡月です。

今日は、久し振りに『とある占い師の独り言』を更新したいと思います。

 

 

「占い師」という仕事をさせていただいていて、常々思うことは、

 

好き」の反対は「嫌い」だけれども、「」の反対は「無関心

 

だということ。

 

無関心」の根底には、「自分さえ良ければ他はどうだっていい」という「自分可愛さ(我)」がある

 

だからこそ、

 

相手の利益」より「自分の利益」が優先

 

になり、人に対しても物事に対しても、相手の気持ちや状況を踏まえずに「自分の考え」や「自分の都合」を押し通そうとする。

それで上手く行っている間はいいけれど、ちょっとでも「自分の思う通り」にならないと、愚痴っぽくなったり、「あの人は大したことがない人だった」と文句の一つを吐き捨てて、途端に掌を返したような言動に出る。

 

 

実際問題、この手のタイプの人というのは、決して少なくはない。

恋愛や仕事絡みの人間関係でもこういう人はわんさかいるし、その典型例は、子供にきちんと向かい合おうともせず、「この子の将来の為になるから」と自分の脳内の理想をひたすら子供に押し付ける親だ。

 

「テストでいい点を取れば、ママが喜んでくれるから」

「親の期待に添わなければ」

 

と子供がそう思って努力している間は、まだ親子関係は何とか均衡を保てていたとしても、思ったような結果が出せなかったり、子供に「自我」が芽生えて、「こんなことやりたくない!」と反抗しようものなら、

 

「ママがこんなに〇〇してあげてるのにどうして!」

 

と言わんばかりに子供を責め立てたり、子供に「裏切られた」ような気持ちになるような親もいるのではないかと思う。

 

さて、この子供は、本当に親を裏切ったのだろうか?

 

親自身の「自分自身の思い込み」によって裏切られたのであり、子供は親を「裏切ってなどいない

 

それなのに、子供を一方的に責め立てたり、「裏切られた」ような気分になって「もういい!」と突き放したらどうなるだろうか?

 

どういう形になって表面化するかはその子供によって違うところだけれども、一つハッキリ言えるのは、子供にとって、その後、家族や家の中が「地獄」と化すであろうことは想像に難くないし、遅かれ早かれ、親を恨むことになるだろう

そして、親に「ありのままの自分」を認められず、愛されたとしても「条件付きの愛」でしか愛されず、自分が「親が幸せになる道具」として使われたことに、深い悲しみを覚えるのではないだろうか。

 

 

ここで話を元に戻すと、

 

自分可愛さ(我)」の根底には、「自分自身に対する期待値の高さ」が潜んでおり、そして、自分が「思い描いた状態」や「恵まれた状態(幸せ)」でないと気が済まないという我の強さ、欲深さに繋がっている

 

ように思う。

「子育て」の話に当てはめるとしたら、「自分自身に対する期待値の高さ」は、「この子はこういう道を歩んだ方が幸せなんだ」という親自身の「自分自身の思い込み」の部分になる。

 

個人的に、俗に言うところの「プライドが高い人」と言うのは、

 

プライドが高い人=自分自身に対する期待値が高い人

 

とも言い換えられるのではないかと、私はそう思っているのだが、私が「占い」というものを通じて、老若男女、様々な人の人生を見続けてきて思うのは、

 

自分自身に対する期待値が高い人(プライドが高い人)」は、人生の中で少なくとも「3回」は裏切られる

 

ということ。

 

一回目は「」から、二回目は「世の中」から、三回目は「自分自身」に裏切られる

 

しかも、そのどれもが揃いも揃って、本人にとっては「まさか」という形で裏切られるケースが多いということだ(周囲からすれば「やっぱり」だったりする)。

そして、人生の奈落の底に突き落とされたとき、そこから這い上がって来れる人は、そうそう多くはないということだ。

 

 

当たり前のことだが、「人間」は、「人」と「人」の間に生きている。

人に対して「無関心」で、「自分の利益」ばかりを優先する人が、人に愛され、必要とされ続けることが出来るだろうか?

 

かつて、マザー・テレサはこう言いました。

 

この世の最大の不幸は、「貧しさ」や「」ではありません。

自分が誰からも必要とされない」と感じることです。

 

と。

 

無関心」は、巡り巡って、「自分が誰からも必要とされない」という「この世の最大の不幸」を招いてしまう

 

「人に裏切られてばかりだ」とか、「自分は何て不幸なんだ」とか、「時代が悪かった」と嘆く前に、自分自身の気持ちを最優先にして、自分の家族や友人、同僚など、周囲の人達に対して「無関心」だった部分はなかっただろうか?

周囲の人達にろくに説明もせず、「自分自身の思い込み」で突っ走っていた部分はなかっただろうか?

 

人生において「孤独」の二文字は、年を取れば取るほど、人を絶望的な気持ちにさせる

 

ものです。

 

 

あなたは、人生の最期をどんな気持ちで迎えたいですか?

少なくとも、「孤独」と「絶望」の中で最期を迎えたい人などいないはずです。

 

あなたが幸せな最期を迎えたいのであれば、

 

周囲の人達にもっと関心を持ち、常に「声掛け」や「心配り」を忘れず、「周囲の人達と一緒になる道」を探し、一緒に「幸せ」を作り続けること

 

つまり、

 

共存共栄

 

が大切なのではないかと、様々な人達の人生を見続けてきている私には、そう思えてならないのです。

 

今回の記事が、あなた自身の「今後の人生」を生きる上でのヒントになれれば幸いです。

それではまた次回☆

 

 

今日もお読みいただきありがとうございます握手
あなたの開運を心よりお祈り致します!

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  • 2017.05.15 Monday
  • 01:11